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January 12, 2021

和して同ぜず

世界的に異常気象やコロナウイルスが拡がり、今までにない状況が広がっている。アメリカはドナルド・トランプが大統領であり、社会的に混乱している状況だ。また中国は香港弾圧、ウイグルやチベットでの統治など、まともな社会とはいえない。世界中がクレイジーな状況だと思う。

その昔は日本は大和、大きな和む場所であった。人々が温和で、ギスギスしていないで、和やかな場所。平けく和む、平和な場所、フラットで和やかな人々の居る場所。これが理想的な場所だった。

この和ごむとはどの様なことなのかを考えてみたい。
元来日本は「木々一本づつに神が宿り、人々はお互いに尊重して穏やかで温和で和を持って尊いとする。」と言う社会であった。

また、我が家の家訓に「和して同ぜず。」という言葉がある。これは「和むけれど決して同化しない、群れを作り同化してグループ化しない。」という意味である。これは、自主的な独立した人間性を守りながら和やかに暮らす事だと思う。

これを世界中の民主主義の新しい視点として、もっと日本人として、主張しても良いのではないか?と思う。それぞれが尊重して和むが、同化しない。

ここが、現在の世界に欠けている。むしろ、学校、故郷、会社など、同じことを、無理矢理見つけて群れる。そこは和して同ぜずが日本的な民主主義の基本姿勢になるようだ。

静かに、和を持って本質的に違いを問い直すのはいい。そうすることから進歩が生まれる。世界がもっと和やかになるといい。国と国が対立している場合では無い。国の利害や権力を競うより、共通の目的を設定して、それに協力しながら向かうようにすると良い。

新年早々、大きな目標を持ち世界を考えて行かないと、人類の未来は危ういと感じた。それには、大きく和やかに、和気藹々と議論し、和して同ぜず変化し続けていくことだと思う。

November 5, 2020

ワタリガラス

建築家のル・コルビュジェは本名ではない。本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリ。

コルビジェとはワタリガラスの意味で、自分のことをカラス君と呼んでほしいということで、自らそう名乗っていた。

ワタリガラスは、歌舞伎町でゴミを漁ってる様なカラス=Crowではなく、Ravenと呼ばれている、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」に出ているワタリガラスの事。

つまり渡り鳥で大陸間を渡り歩く、カラスの事だ。街にいるのとは違なり、綺麗で悠々と空を飛び賢いカラス。

ここからインスピレーションを得たこの建築家は、色々な建築家に付いて助手として学び、その後、独立して、自分の事務所を開いた。

この渡りガラス的な働き方は、デザイナーやアーティストなどクリエイティブな仕事をしている人や、いわゆるフリーランスという働き方に近い。

戦後の日本の大企業に勤めて一生安全な仕事に従事しするのとは違い、仕事を渡り歩いて行く生き方だ。

今の時代だからこそ、仕事を渡り歩いて色々な仕事をしていくこと、そして人生を自分のものにしていく生き方に注目したい。

あとは、昔から百姓と呼ばれる働き方がある。つまり、お米や野菜などの作物や、味噌や醤油やお酒、はたまた藁細工や工芸品、漆器や陶器を作ったり、大工仕事をする働き方。

百姓:100works.
100の仕事をしてそれらからの収入で、いわゆる生業(なりわい)を立てていく。

多様な働き方の集合、その総体としての仕事に、今回のCOVID-19の後に注目が集まってきた。

自宅で仕事をしていると、友人からちょっと手伝ってくれないかという話が入ってきたり、また企業も兼業を認めたりと、実際に仕事が多様化してきている。

これらの仕事観の変化についていけない現在の企業はどんどん遅れていく。
それに僕の周りでは、外国人が日本で働くことが多く、彼らは東京も地方も関係ない。地方での働き方がどんどん増えてきている。すると農的働き方が自然に入ってきて、我々が主張してきた新しい働き方が形成されてきている。

今回の事から、大きく社会が変わっていくのが見て取れる。
そこで我々がやっているMidori.soというシェア・オフィスに“Worktogather Media”とでもいう、みんなで協力して仕事を作っていく情報群を作って行こうと思う。

それをワタリガラスという名の下にやっていきたい。

元々、“Independent Think tank”としての機関Mirai Institutesの下にシェア・オフィスMidori.soがあり、それに今度始めるワタリガラスという、様々な働き方の可能性を探る情報Mediaを作っていく。

例えば新しく仕事をしていくのにパートナーを探したり、外国人と組んだりすることは、今までなかなか情報を得ることが難しかった。

そこで我々は、「ワタリガラス的な働き方、多様な仕事から生業を立てていく生き方、地方での働き方、外国人と一緒に働く事。」、などをテーマに働いていくためのメディアを作っていこうと思う。

July 18, 2020

ワタリガラス的働き方

先日、TAKIGAHARA CRAFT&STAYに吉村さんという建築家と彼の早稲田大学のゼミの学生10人ぐらいがきて泊まった。

学生のうち7人は女性の建築家、6人は外国からの留学生だった。そこで話したのは、最近の建築科の学生は大企業の建築事務所に就職することを中心に考えている様だということ。

昔は色々の建築事務所で幾つか働いてみてから、自分の建築事務所を作り、そこで仕事を受けるという流れがあった。
たとえ大手の建築事務所で働くにしろ、アトリエ建築事務所で苦労することは役に立つものとされてきた。

そこで今まで、有名になった建築家は、どんな事務所を渡り歩いたか?調べてみようと思った。デザイナーやアーティストも、独立する前には幾つかのアトリエやスタジオで働いてから自分の事務所なり会社を立ち上げるものだ。

コルビジェについて調べてみると、コルビジェは本名ではなくてカラスという意味だということが分かった。自分のことカラス君という彼なりのユーモア。

建築家はどこかワタリガラス的だと思う。色々な土地や建物、はたまた建築事務所を渡り歩いて自分の人生の経験を積み、自分の表現を磨いていく。そう考えると、デザイナーやアーティストも同じだと思う。ワタリガラスのように旅をして、経歴を重ねていく。

この時のワタリガラスはRAVENであって、CROWではない。日本のカラスは都市に定住していて、あまり良い意味がないが、ワタリガラスは自由に旅して良い意味がある。

エドガー・アランポーの小説でも、「大鴉」というのがあるし、NFLのレイブンズもそこからとったらしい。ただ日本の封建時代からの忠誠心からすると、お世話になった会社の先生やお師匠さんからうまく独立するというのには少し抵抗がある。辞め方を少し考えて、うまくしないといけない。

最近はこの壁もだいぶ低くなってきて、一生一つの会社や事務所に務めることはなくなってきた。会社の方も、忠誠心も大切だけど、その人の能力や創造性、才能が大切だと分かってきた。

その為にはかえって、色々なところで働く経験をした方が良い。良い組織を作る為にはワタリガラス的性格の人と、定着する人をうまく合わせて、チームを組み立てていくことが大切になって来る。

今回のウイルスのあとで浮かび上がってきたことの一つに、働き方の色々な可能性が見えてきた。場所を変えて働いてみること。多様な働き方を組み合わせてみること。一社で一生働くことだけではないこと、大都市で働くことが最高の働き方でもなく、他の可能性もあることが分かってきた。

そして農業や食に関係する働きを混ぜたり、自給自足的な働き方を考えたり、それらを組み合わせて生業を作っていく事が大切だということに気づいてきた。

巨大企業に入ったら一生安全に働くことができるという幻想も崩れ、そのための受験や就活も意味が問い直されてきた。自分の人生を自分のものとして作っていくということに気がついてきたようだ。僕はこの状況を見てシメシメと思っている。僕の考えてきた時代が来つつあると。世界中をみてもカオスでパンクになって来た。

June 19, 2020

自給自足で一体いくらあれば生活できるのか

さて、今我々のIndependent think tankのMirai Institute,ではこうした時期に、何を問題視して問題設定をどの様にするか?をいろいろな人に聞いています。

What is the question?is the question.
何が問題か?が問題で、いかに働くか?が問題です。こうした時代には、早く答えを求めるよりも、問題を掘り下げてみることが大切だと思います。

まずは仕事も全て無くなって、最低限、何から始めるか?を問うとしたら、自分の田畑に自分の家を持ち、自給自足をして、出来るだけ自立する生活の基盤を持っているか?
から始めるのではないか、その為にはどの様なことができるかと常日頃考えてきました。

限界集落で生活するとしたら、一体どの様にしたらいいか?という問題設定をして、かつ世界の最新の状況から取り残されることなく、新しい働き方、本来のあるべき生き方
を実践するにはどの様にすればいいか。

まず滝ケ原では、生活費がほとんどかからない。食べ物は周りの農家の人から分けてもらうし、魚は安い。食材はとにかく安い。自分達で野菜やお米を育てる。またキッチンは綺麗に作ってあるし、食器や家具もいいものをデザインから初めて、ライフスタイルは良いものを目指しているのである。

木村ガラスのワイングラスやグラス類、フィンランドのアラビアの食器や九谷焼やアンテイークの食器を集めている。趣味がいいものを安くで集めているし、音楽や照明や空間も全て上質のものにしている。ライフスタイルが上品に考えられている。デザインやアートや本や音楽好きが集まっている。食にもこだわっている人が集まっている。そしてウェブの環境が整備されWiFiが繋がっているし、環境が揃っている。そこに有能な、刺激的な若者が集まってくる。こうした状況を作り上げてきた。

漆器の工房も作っている。今後は九谷焼の新しいブランドを作り、世界中のデザイナーと新しい陶器を作っていく。また陶器の釉薬に注目し、陶器の釉薬の研究をしていた僕の父親の遺志を継いで、新しくColor Laboをつくろうと思う。

さてこうした状況を小松市の滝ケ原に集めてみたい。するとエネルギーの輪ができて、才能が集まってくる。まず生活の基本的な要素が安定して、良い人のコミュニティーができてくる。受験勉強では、隣の人ができないのを助けることはないが、ここでは隣の人が困っていたら助けてあげるのが当たり前、自分だけ分かっていても嬉しくないし、自分だけ食べ物がたくさんあって、隣の人がなかったら自然に分かち合い、助け合うのが当たり前だという価値観で動いている。

14世紀ペストが流行って、たくさんの人が死んだ時から、いろいろなことが変わった様に、現在のパンデミックの状態を通して色々変わっていく。ルネッサンスが起きた様に、文明を再考し問い直すこと、また最低賃金を設けて、生活に安心を考えることなども始まった様だ。精神的に安心できる様に、まず生活の安定を考えると、お金だけではなく、周りとの関係が安定していて、精神的に豊かである状態に持っていけているか?

滝ケ原では、15人ぐらいの人が今、生活いていて、これからますますたくさんの人が生活すると思うが、みんな地元や東京やはたまた世界中と毎日、連絡している。外国からもたくさん来ている。会議も普通にZOOMなどでしているのをみるにつけ、これからの働き方、仕事の仕方を考えさせられる。それに若い子たちがどんどん結婚して子供を作っている。世間では、なぜ子供を作らないかというと、収入がないからということがいちばんのようだが、収入の先にある安定や安心感があるかというと、この限界集落の滝ケ原には安心が溢れているようだ。

だから子どもを作ってみんなで育てている。こうして見てみると、我々が今やっていることは、大きな実験のようだ。文化的な意識がまずあるか?それが必要で、美しい物や事柄、美味しいもの、綺麗なものをみんなで作っていく感覚がある。

現実的に、大きなテーブルでみんなで食事をするのに食材を買ったり、地元や自分の畑や周りの農家の方から、貰ったりして、みんなで料理するとしたら、すごく安くで食べられ、それも世界中の料理人の料理を食べて、満足して、そんなにお金がかからない。

そして宿泊は僕らのデザインのクラフト&ステイに泊まればまた安い割に良い。こうした地方再生をしつつ新しく文化を作っていく。みんな仲良くやっていく。この実験をし始めようと思う。

May 29, 2020

パンデミック以降

現在、コロナウイルスの全世界的なパンデミックにより世界経済、そして今までの文明の進化に対してストップがかけられている様です。

元に戻る様に期待している人もいる様ですが、僕はもう戻らないと思います。むしろ次に来る世の中はどうなるか?これも何かの警告ではないか?と考えて、この状態を捉えたらいいのではないかとも思います。

東北大震災で津波により大きな被害が起きた時も、海岸が流されて元の自然が現れた時、ある種、人類の文明の無力さを見た気がしました。

それを元に戻して、堤防で囲ってまた津波が来てもいい様にすると言う価値観には、正直僕はなれず、海岸沿いにできた町並みをこれから戻したり、また津波が来ても大丈夫な様に堤防を作ること自体ナンセンスではないか?と思いました。
新しく町並みを考えて次の時代の都市計画を作るといいと思いました。

今回のパンデミックでも、環境問題や地球温暖化がストップし空気が綺麗になったように、人類に新しい働き方、農的生活の大切さ、強欲でお金中心の経済から自然環境や人々の幸せに気を使った社会、病的な価値観と病んだ人々に健康的な意識と新しい価値基準を植えつけることになると思います。

特に健康な食に対する希求、自然環境の中で、新しいデザインの住環境を作って、オーガニックな食事をして健康な生活を自然の中でする様にしたら良いと思います。またそうすることが可能です。

自然の苔庭がある小松市日用の古民家再生から僕は苔庭にたたずんで考えると、日本の思想、日本の家が違って見えました。Moss Philosophy,苔の思想とでも呼べる考えが生まれました。そこで、すぐ隣の滝ケ原に農園を作って、今度はTakigahara Craft & Stayというホステルの様な、デザイナーやアーティストが泊まれる場所を作りました。

人類が80億人くらいに増えて自然環境も悪くなり、美味しい食べ物や綺麗な水も不足し、地球温暖化が進み、これからの人類はどうなっていくのか?不安が募ります。

しかし人類の歴史上、何回も起きてきたペストやコレラやスペイン風邪などのパンデミックの時に人類の歴史が変わり、ルネッサンスが起き、文明の方向が変わりました。

その辺を考えると、今回は人類に対する警告で、大きく変わる様にしている様です。そこで何が問題か?を考えてシリーズで何回か書いていこうと思います。

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April 22, 2020

自給自足のユートピアを目指して

今、石川県小松市の滝ケ原に24ベッドのホステルを、リノベーションで作っている。滝ケ原には羽田空港から小松空港まで50分、空港から車で20分で着く。

Takigahara Farm、Takigahara Cafe、Takigahara HouseというAirbnbで使える場所。漆器のスタジオに続いて、Takigahara Craft&Stay。みんなが泊まれる場所としてのホステル。

これから自然の中に僕が考えるユートピアを作っていきたい。できれば電気もソーラーエネルギーで,コンピューターを動かすのと照明だけは自給したい。また将来はライブラリーを作って、最高の学校を持ってきたいし、音楽のスタジオやスイミングプールも作り、石切場をギャラリーにする。また食料もできるだけ自給できるようにしたい。

母屋には、世界中から誰かが食事をして泊まっている。食費はほとんどかけないけれど、とても美味しくてきちんと
食器やグラスなども良く、周りの農家の人から分けてもらったものなどがうまく料理されていた。

これ以上の贅沢と安心感はないぐらいだ。そして東京とZoomでミーティングしたりして、今の時期、新しい働き方と価値観が体験できる場所になって来た。周りに住んでいらしゃる人たちは皆、お年寄りだけど、いい人たちで、良くしてくれる。今回のウイルスが変える社会、働き方、価値観などの実験場として大切にしていきたい。

そして家具好きでデザインにこだわる僕らのコレクションの家具。

ザッハ・ハデイトのソファーやサーリネンのWomb chair、カステリオー二の椅子。Knolのソファー、ロス・メネズのミルクドロップテーブル、ジョージ・ネルソンのランプ、ブルレック兄弟のデスクランプ、ジャスパー・モリソンの椅子、セルジュムーユのランプ。60’sのアンティークやマークニューソンのデザインのポットや椅子など、みんな知り合いか、知ってるデザイナーのコレクションを集めてみた。

家具好きで、現代のデザインを良く知っている人には、たまらなく贅沢な空間。グレーやブルーの色にもこだわって、微妙な色合いでコンテンポラリーな空間を作ってみた。楽しんで作ったのが伝わる様なデザイン。

全てが値段ではなく、好きなものを集めて、自分たちが信じる今一番の空間。2階はバンクベッドの部屋と2つの独立した部屋。音楽のバンドのメンバーが泊まれる様な4人部屋とスイトルーム。それに別棟の土蔵を変えたナチュラルワインバー。ネオンのサインが可愛い。

そして外は畑と山々。ここにこれから小さな木の家を建てる。自給自足に近い生活ができて、美味しいものを食べ綺麗な水と空気をとって、自由な生活をする。都市を否定する訳ではなく、都市にも行きながらも生活していく。

北陸には陶器や漆器や和紙や色々な工芸がある。ただ今までは古民家再生というと、民芸調になってスキッとしていなかった。そこで今度は思い切り新しいデザインと古い家の骨格を対比させてみた。

そして美味しいものにもこだわり、ヨーグルトなども自分たちで作ってみる。朝は散歩してから野良仕事して、静かに思索したり、じっくり会議をしてみたり、これからの生き方を作っていきたい。

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May 28, 2019

Food Experiece

僕は食べることが好きだ。食べることだけでなく、人と一緒に何をどこでどのように食べるか?を考えそれを体験することが好きだ。

ファーマーズマーケットをやっていることもあり、誰が作ったどんな野菜を、誰がどう料理して、どこでどんなお皿にどう盛り付けて、どんな風に食べるか、お酒は何を合わせるか?はたまた音楽は?家具は?椅子は?空間は?どんな会話するか?など全てが合わさって、うまくいけば、素晴らしい体験になり、最高な気分になるということが分かってきた。

これを単純に飲食・外食・会食・接待などということで済ませてしまうのでは余りにももったいない。

人生の一場面として、食べる体験をして、かけがえのない時間を過ごすことによって、良い人生を過ごす。「よく食べ、よく生きる。」ということは当たっているとに思う。先日、Natural Wineを中心にしたイベント、One Love,Wine Love.をFarmers Marketで開催した。

そして、Natural Wine as counter culture.の視点から、zineも作った。

最近ナチュラルワインを飲むことが多い。今までの「どのシャトーの何年もののワイン」というメインストリームから外れ、「誰が作ったどんな葡萄を、その土地の酵母でどんな風に作ったか?どんな性格か?などまるで友達が作ったように、話して扱う若者が増えてきた。カルチャーとして飲む事。

また、料理も友人や家族の為に料理をする、新しいタイプの料理人がいる。そして大騒ぎして飲む。まるで新しい体験。Natural Wine Experiece!

これらはつながっていて、一つの社会現象になりつつある。その一方で、外食産業の発展に寄与するような、マニュアル化したサービスとシステムを持つ巨大な飲食企業が勃興した。これらが入り混じり、今の社会が移り変わってきた。僕らはその流れの中にいる。

経済性やカテゴリー分けでは無く、食べる体験を探求することを考えてやっていく。農業、発酵、料理、空間、体験をFood Experieceとして考えていこうと思う。

January 16, 2019

Good News

以前、Good News Projectを始めようと思って、いろいろ動いたことがありました。ひとことでいうと、世の中には悲しいことや悪いことと同じくらい、良い話しや楽しいことがあるということに注目して、Good Newsを集めてみたら良いのではないか?

他人を恨んだり憎んだりするよりも、仲良く認めあった方が遥かに良いのに決まっている。しかしながら、事件や戦争や殺人は記事になるけど、思わずにっこり笑ってしまうことはニュースにならない。

去年の年末に、恵比寿の路上で野良猫と思われるネコが自動車に轢かれるということがありました。そこに居合わせた、ファーマーズマーケットの拝原君が思わずその猫を抱き上げて、動物病院に連れて行くと、顎が折れたその猫を助ける手術をするのには50万くらいのお金がかかると言われ、どうしようかと僕に電話してきました。

とにかく可哀想だから、クラウドファンディングででも集めようと思い、最後は僕が救おうということになりました。

ファーマーズマーケットで捨て犬の譲渡会をやっているDo one Goodという組織の高橋一聡さんに連絡したら病院に直接交渉して少し安くなるようにしてくれました。

動物病院の医師が偶然、拝原君の高校の同級生であったこともあり可愛そうな猫を助けようと皆んな心が一つになって、手術になりました。すると手術は成功して、この猫も無事も命を取り留めました。

猫がひき逃げにあったということは、人間ならば事件ですが、器物破損ということで誰も咎められることもなく、普通はそのまま放置されて猫は死んでしまいます。そしてゴミの様に破棄されてしまいます。

僕は小学生の時の親友が犬しかいないという経験から、犬が人間の様に感じられています。猫も同じような感覚で、自己を確立した存在として尊敬しています。

幾つかの偶然が重なって、COMMUNE 2ndの中に猫の小屋を作って、元気になるまでは面倒みています。でも野良猫の親分だったこの猫はなかなか懐かないで存在を主張しています。

これを機に、可哀想な犬や猫を救う基金の創設や、コミュニケーション障害の人や独居老人に捨て犬や捨て猫を紹介する事を考えてみたい。

動物を友人として認めて愛情を注ぐことがどれほど生き甲斐になるか、そして自分自身も豊かになることが出来るか。

ちなみに手術代は30万にしてもらって払いましたが、これも経費で落ちることなど考えられないし、またクラウドファンディングを組み立てる迄にはまだまだ時間がかかります。

張り紙をみて10万円を包んでくれた人が現れたりもしました。この猫が元気になって、またイタズラ猫になって活躍することを見守っている人が何人もいるという事です。

世の中は捨てたものではなく、嫌なことがあると同時に微笑ましいこともあるのです。大切なのは、善意や好意を集めて行動を組み立て計画を実行することです。

Do One Good活動は一般社団法人として、毎年4000匹の捨て犬や、事故に合ったびっこの犬などの里親探しをしています。

みんな、周りに良くしたいという心はあるけど、行動して実践することで更に愛情が大きくなるものです。
それを考えてGood Newsを集めていくことを今年はまた始めます。

March 21, 2017

未来の仕事、新しい起業

今、日本中、いや世界で、働き方が問われている。

日本では、労働時間の問題と過酷な労働条件で働くことにより、自殺する人まで現れ、もっと人間らしい働き方は無いものかと問われている。

そこで残業時間は何時間までならいいか?と言うことが法律で定められ、もう過労から自殺する人がいないようにと色々議論している。しかし、楽に、労働条件を緩くすると、会社のパワーが落ち、競争に負けてしまい、給料も高くは出来ない。と言うことになってしまう。

そこで企業の経営者は会社をどう生産性を下げること無く、労働効率を上げていくか?どのような場所でどのように働くか?どう言う方向に会社をもっていくか?が問われている。

しかし生産性を上げて何をするか?決められていることを如何に効率良く、生産性をあげるか?とはまた別の、そもそも何をするか?いままでにない仕事をどのように作っていくか?未来の仕事はどのような仕事なのか?などは、日本ではとかく忘れてしまい、お金があれば自由が得られると漠然と考えているが、その自由ということに縛られている。

自由な働き方にこだわるのでは無く囚われて縛られている。そこで、労働は束縛で苦痛である。となってくる。

しかし、僕は今まで、仕事が苦痛だと思ったことがない。いつも新しいことを考えついてそれを作っている。

仕事が遊びとほとんど同じ、掘り下げて考えて、ライフスタイルの仕事をしていることから居住と滞在の意味が変わってきていることに注目して、そこでいろいろな仕事を考えたり。過去からの仕事を新しく考えて未来の仕事に繋げていく。

規則や法律ではない、夢のある未来を求めて、それをどのように作っていくか?に集中して生きていこうと思います。

September 27, 2016

Ready Study Go

位置について、ヨーイ、ドンをReady,Steady,Go.というが、リオのオリンピックをテレビで見ていて、この、競技のスタートからゴールまでの設定、新しい競技や競技そのものが、色々な設定から行われていることがふと気になった。

例えば、短距離の花100メートル、もしもあと10メートルだけ有ったら、結果は全く違ったドラマに成っていた。ということが見て取れる。

110メートル競争にしたらまた違った結果が待っているかもしれない。だけど障害は110メートル障害。これは障害の間の歩数から、100メートルでなく110メートルに決まっている様だ。マラソンはギリシャの故事から42.195キロ。

競歩には50キロ競歩がある。これらの、先ず競技の初期設定はいろいろなことで決まっているが、その設定で精一杯戦ってみて、そこで結果にこだわるが
全体に所詮スポーツ、戦争ではなくそこを大きな意味で楽しもう、というコトではないのか?

そこに国単位で幾つメダルを取ったか?などを余りうるさく言わない方がスマートな様に思える。国家の為に戦うことさえも楽しんでしまい、ドラマがあることもスポーツの一部。という風に近代オリンピックを囲む情況は変わって来ている。むしろ国によって、人気競技が違い、スポーツを楽しむ情況と、健康管理としてのスポーツ環境がどのように出来ているか?によって全体に運動能力が伸びて行く。

アメリカはスポーツ放送がバーやメデイアで常に流され、社会の意識がスポーツに向っている。スポーツに関係ない様なおじさんでも、何年のシーズンはバスケットは誰が活躍して、何処のチームが勝ったという様に、自分の人生経験に結びつけて、スポーツと共に生きている。

また、この野球やバスケットや、サッカーの様なチーム競技は、そのチームマネージメントや、全体の流れの作り方が時代によって違う様に、時代の流行や、国によってのスタイル、がある様だ。

個人が強いだけではダメだけど、チームが一人の人間の様にうまく意思をまとめて戦って行くのはその国のスポーツ文化の華だ。諸橋さんはフェンシング部のキャプテンだった頃、この個人競技の団体戦で、誰に誰を当てるかが勝敗の鍵を握って居たということをどう演出するか?ここが勝敗を分けたと言っていた。

色々なスタイルがある。ルールさえも毎年変わって行く。そこでは時代の価値観に密接に関係する。ルールや初期設定の流動性、そこの設定さえも仮に決めたもの、で毎年変わって行くものではないか?

自由大学でいつも問題にしているのは、この問題設定が、従来のカリキュラムでは古くて、情報のデータベース、頭の中の記録容量依存型の學びから、変化する外部環境にどう対処するかの、問題設定を色々かえてみることにより、実際の社会にどう対応するかの能力獲得型とでも言った、より本質的なことを掘り下げて、それにどう立ち向かうか、どのように解釈して、問題設定を従来の価値から換えて行くか?を問題視している。

そうして考えてみると、色々な所に問題が隠れている。學びはいろいろなことをどお問いに換え、學びを設定するかによって全く違って来る。ここで學びのキューレイションということがある。この多様な問題設定から、色々なスポーツが、遊び心と表裏一体として生まれて来た様に、色々な學びを見つけることを面白い、をキーに設定することができる。

人生全てスポーツと言い切ってしまうかのように、人生全て學びである、と言えるか?また學び、考え、初期設定、スタートポイントが決まれば、後は実行して、結果を見る。そこに偶然や進化がある。

社会で新しい仕事を考えて、それを実行してみる。新しく起業してみるということがある。新しくスポーツのルールと競技を作ることは、子供がなんでも遊びにしてしまう様に、面白いコトを考えることが先ずあり、そこでも最近の習い事が多すぎる子供が増えて、いわゆる都会の上流階級の子弟の習い事ブームから、自然の中で何でも遊びにしてしまうワイルドな子供の方が社会を変える可能性がある。

遊ぶ様に學び、何もない所にルールを決めてスポーツにしてしまう。Ready, Study, Goという訳だ。好奇心や、面白いことをまず問いにして、そして學び、それを実行してみよう。そうすることが本当の叡智を獲得することに繋がるとよいと思う。

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