晴れと褻 - ハレとケ
November 5, 2024
今、僕の頭の中を占めているのは、輪島の漆を再生して発展させるにはどうしたら良いかという事だ。
イデーを始めてすぐにオリジナルの漆の家具を作った。そもそもアイリーン・グレイの漆の家具や、アール・デコなど1930年代のデザインに惹かれ、当時のデザイン雑誌や建築の資料を集めて学んでいた。次第に資料だけでなく、現物も多数所有する様になった。そして、それらの家具の内のいくつかを再生した。アールデコから着想を得た、漆のスクリーン、テーブル、キャビネットやイーゼルなどだ。
今回の地震で壊れてしまった輪島で漆の工房は250軒以上あったらしい。ほとんどがもうやめてしまい事業を受け継がれない様だ。そこで、Make japan rize againとして漆工房を事業承継し、japanを再生して発展させようと思うに至った。
そもそも僕が小学校3年生ぐらいの時に、祖父と父に呼ばれて、もう一度日本がアメリカや西洋の国々に並ぶようになるには、ギリシャ時代からの西洋文化をよく学ばなければいけないと言われ、石井桃子訳のギリシャ神話やプルターク英雄伝(プルタルコスの対比列伝)やナポレオン伝を与えられた記憶がある。
僕の母方の祖父は、陸軍中将で陸軍参謀本部の服部武士だったし、父方の曽祖父は明治時代にフランスに留学して、日本陸軍の基礎を作った一族だった様だ。また父方の祖父は日露戦争で戦い金鵄勲章を明治天皇からもらい、また祖母は明治天皇の馬車に乗せてもらったりして喜んでいた様だ。
一方の僕は、中学高校の時はアナキストで、ブリティッシュ・ロックやボブ・ディランなどを聞いて育った。そして親たちに逆らって生きてきた。
早稲田の理工学部は卒業はしたが、いわゆるドロップアウトをして青山の骨董通りでアンテイーク屋を開いた。西洋かぶれで、日本史よりも世界史をよく学んだ。ロックの歌詞から影響を受けた。そして西洋骨董、特にイギリスやフランス、はたまたイタリアのものに影響を受け、またこの30年ほどは北欧のデザインや家具を集めてきた。
今年の正月に大地震が起きて漆器工房が壊滅状態になった。陶器をチャイナと言い、漆器をジャパンという様に、漆器のあの深い輝きは何物にも代えがたい。日本は安いものをたくさん作るのは得意の様だが、高くてもきちんと良いものを作ることは苦手なのかな?と思うに至った。そして陰陽説や五行説を調べていて、中国発ではなく日本発の概念で、hare-to-ke(晴れと褻)という考えに行き着いた。
晴れ着、はれの日、ハレの場などに対して、褻着、普段着、日用品。無印良品はこうした日用品のレベルを上げる様に心がけている様だし、イデーはハレの品々を発表したい。陰陽五行説、結界、晴れと褻、などを考えながら漆の家具を考え、妄想している。