戦争と戦闘機
August 16, 2007
8月になると戦争の番組が多く、僕も深夜にNHKなどで見ている。
子供の頃は戦闘機の名前をたくさん知っていた。よく模型を作っては自分の部屋にぶら下げていたものだ。日本のだと雷電や紫電改、アメリカのではボブキャットやヘルキャットなどがお気に入りだった。
父方の大叔父、本庄季朗は三菱重工で飛行機の設計をしていた。手がけた中で有名な物では一式陸上攻撃機というのがある。これは零戦と並ぶ傑作といわれており、山本五十六が乗っていた。
日曜日には植物採集をするため、よく大叔父と一緒に深大寺や武蔵野を廻った。また僕に凧を作ってくれたり、ハングライダーを作るため設計図を描いてくれたり、科学の実験を見せてくれた。戦争が終わると、余っていたジュラルミンを使って自転車を開発していた。それが今も自転車会館に飾ってある。根っからの技術者だった大叔父は僕の誇りでもある。
また、僕の父は陸軍で爆弾を開発していた。母方の祖父は陸軍の航空隊を率いたり、中国で参謀をしていた。父方の祖父は日露戦争で大きなロシア人6-7人と日本刀で戦った。
その他にも親戚には、陸軍士官学校や陸軍大学出や科学系の軍人がたくさんいた。元々は武士の末裔で、明治維新後は日本の軍隊を作ってきた一族だ。そのため戦争は僕にとって身近にあるのもだった。子供の頃、親族が集まると皆なんだか威厳があった記憶がある。
今改めて考えると、こうした軍人や英雄も、結局の所はただの人間だと思う。しかし、彼らにはいざとなれば日本のため死をも辞さないという雰囲気があった。そしてまともで優しかった。また無闇に自分の自慢をすることは、格好悪い事だと思う節があった。そして日本の行く末を静かに憂いていた。こうした雰囲気は現在の日本ではすっかり無くなっている。それで良いと思うところもあるが、不甲斐なくもある。
このような理系の血のためか、少年時代は科学が一番好きだった。その後は、世の中の変化と共に、ボブ・デイラン、ストーンズ、ピンク・フロイドなどのロック・ミュージックが好きになり、学生運動やヒッピーやカウンターカルチャーなどが入り交じった青春時代を過ごした。
この時期は今から考えても異常だったと思う。そして、この時代に培ったことは皆さんにも還元しないと申し訳ないと思い、今後も僕が学んできた良い事や少しおかしな事を表現し続けていこうと考えている。
My granduncle was airplane designer and uncle was a technician. My father was in the army to develop bombs and also both of my grandfather went to war.
These people like soldiers and heroes are just human. But if something happened, they are prepared for fighting at the risk of their lives. They were gentle and kind and they cared about the future of Japan. This atmosphere has gone nowadays.
When I was young, I loved science and getting older I started listening to Rock music. After entering university, I joined to a student movement, hippy and counter culture. It was a little strange time. Now I am thinking to express what I have thought, felt and experienced in that time.