事実をどう捉えて情報化するか
August 2, 2007
最近、若い人と話していると思うのだが、彼らはやたらと情報を分類することに長けている気がする。多分現在はたくさんの情報がありすぎて、早く処理しないとそこに埋まってしまうからだろう。
例えば、子供が泣いているという現象があるとする。これを「ああ、可哀想だな。でも自分には関係ない」とすぐに通り過ぎてしまう。忙しいからいちいち関わっていられないと、それで終わりにしてしまう。
その一方で、ちょっと立ち止まってみると、その子は何故泣いているのか、どんな子なのか、お母さんやお父さん、保護者はどこにいるのか、何故ここにいるのか、そしていったいこの状況はどう捉えたらいいか。そう考えて場の意味を把握しようとして見る事ができる。
そして現象に対してその原因や理由を考え、自分なりに答えを出し、表面的な解釈をやめ、理解して自分の対処の仕方を考える。これをやる人は中々いない。自分の意志を情報化し、人に働きかけて行くこと。連絡を取り表現してみること。
最近僕はメディアを扱う会社を作ろうとしている。
新聞、雑誌、ラジオ、テレビとそれぞれ情報手段の進化の歴史からカメラマンや記者が無駄にたくさん集まっているが、誰もこの子供に何もいってあげない。
こうしたことを目にして、取材と事実の把握の仕方、はたまたジャーナリズムのあり方を考えると、表現メデイアがこれだけ変わっているが相変わらず情報の取り方、そして編集と表現の仕方は変わっていない事に気がつく。
どう捉え、どのように原因を考えて理解し、そしてどのように自分の位置を保ち、編集して情報として発信するか。これらには上も下もない。ここに新しい才能が開花するのが期待される。
There are no good news and there are no bad news, there is only a fact.You can watch it ,you can understand why and what is happening.
If a child is crying, they say it is a sad thing. but if you look into the reason ,it can be a good thing.
Young people now are trying to categorize things instantly,but it is important to see the fact carefully and deeply then think about it and express yourself.
The evolution of the media tools ,writing,radio voice ,television decide how to get the informations.But nowadays,there are mixed medias to express emotions and thoughts.