生存への欲求の希薄化について

October 9, 2007

最近若い人と話していると、「なんでそんなにやらなければいけないんですか?」「どうすればいいんですか?」という事をいう人がいる。これには、負けるのはプライドに係わるから嫌でその点では頑張るが、一方ではそんなに頑張ってもしょうがないんじゃないかという無力感がある。

執着していて、がつがつ無理をし、食欲もりもりと言うことがなくなった。生存にたいする欲求が希薄になってきたようだ。

また、よく勝ち組/負け組といわれるが、同じ発想でどちらから行くかの違いこそあれ、根は同じように思う。

無理矢理勝たなければいけないと、親や周りから運命づけられ、やる理由はまず勝ってから考えろなどといわれる。あるいは負けたら大変だと脅かされる。試験などでは、落ちたら幸せになれないかのようにいわれる。

昨日テレビで、農業法人を作って頑張っている若者達を見た。彼らは成功すれば給料はいくらでもあがるが、成績が悪いとすぐ評価が厳しくなる外資系の企業で働いている。

そんな生活の中、日本の農業に可能性を見いだし、自然と共にもっとゆっくりやって行こうと思ったはずだが、作物が思い通りにとれないと、予定通り目標達成できないのでくやしいと言っていた。

農業は自然任せ、台風がきたり虫がついたりすると、すぐに不作が起きる。でもそれに動じずに達観して本来の農的生活を楽しみながらやって行くことがいいのではないか。

そして、環境問題と社会問題を考えずには、ビジネスの成功が難しい時代になってきた。ここをよく考え、閉塞した状況を切り抜ける流れを作ることが僕の生き甲斐になってきた。そこでデスエヂュケーション(死に対する教育)が叫ばれるようになってきた。良く生きるということは、きれいに潔く死ぬことだ。ここの所を考えていこう。

Lack of desire for living.

When I have a conversation with young people, some says "why do I have to try that hard?" or "what should I do for the future?"

They are losing a strong feeling on attachment for living their lives. They might be losing attitude of trying harder, eating much and living well.

I watched a TV program on young people forming a corporate organization on agriculture.
They work in a foreign-affiliated firm.

Agriculture is pretty much driven by the nature. Because of this, poor harvest could happen sometimes, but important thing is to take agricultural view of life and enjoy.

It is getting tough to succeed in business without thinking about environmental and social problems. "Death Education" is becoming important. We should be thinking more that living well is almost equals to dying well.

百瀬博教さんとの対談 ▶

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