January 2008

January 4, 2008

正月に東京にいると 何か不思議なプレッシャーがかかる気がするので、例年できるだけ出かけるようにようにしていたのだが、今年は何故か静かに家にいたり、年老いた母親に会いに行って時間を過ごした。

老人ぼけ気味の母親がアンティークのアクセサリーをつけてバッグを持って正装しているのを見ると、なんとなく悲しい気持ちになるので、冗談をたくさん言って笑わせようとした。

40年以上も社会福祉活動に携わってきた母が、今度はお世話をされる番になったという訳で、時間軸がずれた会話をしながら、おせちを食べるのを手伝ったりした。これは今の日本ではあり触れた光景だと思うが、やはりすこし寂しいものだ。母の手を握ったりすると何ともいえない感傷が押し寄せてくる。

そして夜遅く家に帰り、家族が寝ている中、独りテレビを見ていると、地球環境問題、エコ、サステナブルに関する番組をやっていた。今年の正月は33カ国の放送局が制作した番組や、僕の好きなリトルブリテンというBBCの番組などを片っ端から見た。

これらの番組から、地球上に65億もの人間が存在していて、さらに増え続けている現在、国家や民族がそれぞれの欲望のままに、文明の拡大とエネルギー大量消費を行い、これにより自然環境が大きく狂い始めている様がまじまじと見えてくる。

石油や石炭を消費し、ガソリンでエンジンをまわし、電気でモータをまわし、二酸化炭素を異常に排出することが、我々人間の生きている地球の自然環境を大きく狂わせている。

それがたとえ自由経済の名の下であったとしても、そのまま野放しにできない所まで人類の存続に影響を及ぼしている。そこで今までの文明の拡大=良い事という方向性を考え直し、人類の集合知が問われている局面だという事に気づかせ、この危機を英知を絞り出して乗り切るため覚悟を決めてやって行こう、というのが現代に生きる僕らの生きる道。

GDPの1%を使って二酸化炭素を削減すれば、GDPの20%ぐらいになるであろう異常気象などから生じる将来の損失が抑えられる訳で、これは奇麗ごとではなくやるべきだと思う。そしてこの問題の重要な点は、義務や法律で縛るだけでは、遅すぎる可能性があるという事。

今までの成金的なバカらしい贅沢よりも、デザイン的にも科学的にもきちんと考えられたスウェーデンの無暖房住宅や、フランスやオランダでの自動車ではなく自転車を使うライフスタイルの方が都会では便利だしかっこもいいと思う。

それに対して僕らは無冷房住宅の開発に取りかかるべきだと思う。そもそもアジアやアフリカでは、西洋的な冷房機がなくても、快適で心地よく過ごしてきた文化があった。エンジンをぶん回さないで静かにクールに過ごす知恵と美意識は、アイヌや日本の人たちが昔から持っていた事ではないか。

文明国では人口はもはや増殖の局面ではないが、経済的に貧しい地域では爆発的に増えており、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国 )では大変な増加を見せている。しかしすぐにその増加を抑えろなどとはいえない。

また、熱帯雨林の伐採についても、これを民主主義的にストップさせるまでには、かなりの時間が必要となるだろう。これらの事はちょっと無理そうなぐらい難しい。でも僕らは難しいからやるしかないし、その為の覚悟が必要だ。

僕は同時多発的に様々なプロジェクトを始め、それらを貫く美意識とデザインの渦から大きな価値観の転換を生み出すことができれば良いなと思う。よし、色々な方向から考えてみよう。これが僕の今年のお正月の覚悟。

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