本を読む体験とライブラリーという場
January 22, 2008
池尻のIIDでスクーリングパッドのクルーやコミュニティーメンバー(卒業生を含むスクーリング・モードになっている人達の集合)が集まれる場が欲しいという話になった。
デザインコミュニケーション学部では出版に係わっている人が多い。本を出そうとしている人や、編集している人、デザインをする人、販売をしてる人が集まってきている。
しかし出版業界の現状は農業と似ていて、なかなか儲らなくなっている。つまり歴史上頭脳と知性の発達を支えてきた本とが売れていない。一方、健康を支えてきた食の原点である農業も日本国内では存続の危機に陥っている。
そこで、まずは難しく考えずに池尻のIIDのなかにライブラリーを作り、本という印刷物を媒体にして色々なことが起きる場を作りたいという話になった。中国茶やコーヒーも飲め、本を読みながら色々な話しができ、人が集まりそこからプロジェクトも発生するようなライブラリー。これを作ろうと僕らは思い始めた。
古本や洋書も分け隔てなくある場所。そもそも図書館自体は、公共のものも色々含めてあるし、多様な使われ方がされているようだが、現在では膨大な蔵書の中で知の記録を探して、求めていた文章や知識を手に入れるという行為を成り立たせること以外が求められている。
ネットを通して探し物をして、メモリーとしての知をチャージすることは簡単にできるようになってきた。しかし、本を媒介にした心の高揚を得る場を作らないと、きっと若い人はもうライブラリーなどには行かず、本の周りに在る匂いや、紙やグラフィックや印刷の総合芸術としての本の存在感に触れずに、乾いたコンピューターの画面上の文字の意味性だけにしか触れないで終わってしまうだろう。
そう考えると東京に最近増えてきたおしゃれで粋な本屋さんや、本の虫のような若者達と組んで、狭くてもかっこいい場としてのライブラリーを池尻IIDの中に作る事は結構良いのではと思う。
そこで昨日、池尻に人が集まり、よしみんなでやろうという話になった。
思い出のこもった本や雑誌は古い友人のようなもので、人生の一部であり、知り合ったときの空気さえも含んでいる。パッケージ化されたコンビニの弁当だけを食べていると本当に美味しい食べ物を知らないで終わってしまうし、それが作られた元である農業に触れようという考えさえも起きなくなってしまうのが怖い。