農業の再生とライブラリー
March 25, 2008
最近、農業の話で呼ばれる事が多い。
僕は子供の頃から植物が好きで、よく植物採集に行っていたが、その他では特に農業そのものと関係がある訳ではない。しかし時代が変わる時、何かと僕の発想が面白いと思ってくれる人がいるのかと思い、そのお役に立てればと参加している。
昨日は政府が農業を活性化する為に予算を組んだので、色々な企業の経営者が集まってその受け皿組織を作ることをあるホテルで相談していた。そして儲からない農業関連で援助を得るにはどういう条件が満たされれば良いか、その際のルールはどうすれば良いかと、日本の社会の話になった。
そこで意見を求められ、世界の現在の農業ファンドの状況や米北西部のコミュニティー農園の例などを話した。
日本では江戸時代までは大名達が何万石という単位で、いかにお米がとれるかが、経済力とパワーのバロメーターになっていた事をあげ、土地の広さではなく、どれほどそこからエネルギーの単位として何万石というお米の単位を生産するかといわれているかに注目した。
しかし未だ日本の土地資本主義は根強く、その土地で何を生産すると一番効率が良いかや、生産された作物をどのように知らせ情報化して価値を付けて行くかという点は、まだ弱いように思える。
この5年ほどで東京の都心の土地が上がったのは、何坪だから幾らという価値基準だけでなく、その土地に建てる建物がどれほどの生産性があるかが明確にしたからだ。つまり使用価値を創造したという事だと思う。
そこでは建築やどのテナントを入れる為にどのような環境を作るか、それに人と経済の流れを巻き込むかを深く研究し、そのノウハウが高まったからこそお金が集まったわけだ。
今その構造を農地で作れば良いのではないか。それがはっきりしているのが農業ファンドだ。農家の人は真面目に働いて作物を作るのに精一杯で、いってみればこんなに真面目に一生懸命やってるのに苦しいのは国が悪いからだという論理になる。
政府もお金をばらまいて黙らせる、そのお金も農家の人に届かない、まずこの状況を変えないといけない。生産性や換金性の効率が悪い農地を買い上げ、農家の人はそれらを売ったお金で借金を返し、農機具を近代化し近代的な農業化学による作物を作る余裕を持つ事。
そして農業生産法人などアドバイスを受ける余裕を作る。そこで作物の種類から判定した生産方法の向上を図り、克つ現在の食の安全の問題や、地域の作物を食べようという流れを受け、うまく宣伝し。消費者の意識を更に良くて美味しい日本の作物に向けること。
そうすることにより経済性を上げることができる。しかしこの循環を作るのにはかなりクリエイティブな才能が必要だ。農業こそこれからは創造性とインスピレーションが生かされるんだと思う。
そして同じ事が出版業界にもいえる。出版の流通が本という価値のあるものの意味性を無駄にしている。この領域でも僕らはいろいろやり始める。結局同じなんだ。面白い人が増えれば、こうだと思い込んでいる価値観をほぐして創造性とアイディアで変える事ができるものだ。
今度池尻のライブラリーで本がゆっくり読めて買える場を作り、そこから出版や本を再生させるという企てがある。やりがいというのは難題ほど出てくるものだ。農業も本も人間の体と頭のエネルギーの元だと思う。