サローネの頃のミラノ
April 22, 2008
ミラノではサローネがあるせいか、毎年4月頃は世界中からデザインの関係者が集まる。確か昔はサローネは9月で、秋なのに暑かった記憶がある。
ここ30年位、毎年何となくこの不思議な都市に来ている。そしてギャラリーや町中で何回か展示会やパーティーやイベントを行った。
サローネがなくても、ミラノは良い都市だが、この時期は何か街全体が熱くなる。そして、世界中から人が集まり、みんながこれほどまでにデザインやアートやライフスタイルに関心があるのかという状況になる。
それを国を挙げて誇りに思っているし、商売にもしている。普通の店もギャラリーもカフェも全てサローネ一色になる。
デザインの良い所は、開かれていて、普通の人もデザイナーやメーカーなどの関係者も外国人も全て受け入れてゆるく繋がっている事。パリのファションウイークも面白いけど、何か自分たちだけが他と違っているという差別意識がある気がする。
例えば入場制限などして、選ばれた人だけが人気のショウを見れるという姿勢はきれいなものを理解できるのはブルジョアだけなんだという奢りと優越感を感じる。
それが最近は、アートも音楽も生活に落とし込まれてきて、みんながセンス良く、クリエイティブな感覚を楽しめる状況がベースになってきた。そして新たにデザイン・ブルジョア、クリエイティブ階級といった言葉が生まれた。
それらの人達が集まってくるのがこの時期のミラノである。
大金持ちになったスターク、アートと建築を行き来した活動をしているロン・アラッド、ふらっとプライベートジェットで来たマーク・ニューソン、本物の古代遺跡のようなパッラツオで演出表現をしたピーター・グリナウェイ、ワークショップを行ったデイビッド・チッパーフィールドなど。
この時期は、僕が昔からバックアップしてきた人達も集まる。そして彼らはそれぞれデザインや国籍や価値観は違うけどどこか共通するものがある。彼らが現代を直視し、人間が本来持っているありとあらゆる感性の創造性を楽しんでいる様が感じられて嬉しい。
サローネのころのミラノは僕の趣味である都市の定点観測としてだけでなく、現在に生きている人間としての幸運と不幸を同時に実感する場所になっている。