Into the wild
September 16, 2008
昨日、Into the Wild〜大自然の中にという映画を見た。ハーバードでロウスクールに行かずに真理を求めてアラスカの大自然を目指し、そして死んで行く青年の実話を基にした映画だが、ショーンペンが監督としての才能を見せている。
ハリウッドの娯楽大作ではなく、まともに哲学的な題材を詩的にかつ現代の問題として描いている。日本の今の若者にもみられる、現在の無意味な社会の方向性に対し、真実を求め自然の中に向かって旅をするという映画はかつてもあった。
Midnight Cowboyでダスティンホフマン演じる主人公が汚い大都市のニューヨークのからマイアミに夢を見て旅したり、Easy Riderではピーターフォンダ達がバイクで本当のアメリカを探しに大陸横断をし途中で撃たれて死んで行く。
これらはみんな共通して現代のアメリカを題材にして真実を求めて、旅をする若者を描いているようではあるが、一方、日本での僕らの生き方にも近いようだ。真夜中のカウボーイもイージーライダーもその旅の途中での友情や人々との心のふれあい、それから家族や親子の関係、物質世界との関係のように、クラシックな禅僧の修行と被せてみてしまう。
その道では昔から、日本人は俗世間を捨て、修行の道に入って行ったものだが、その過程では不殺傷でシカなんか殺したりしないし、ジャガイモの原種が毒を持っていたのを知らないような無知はなかった。
ショーンペンもこうしたAsian Wisdomに対してWhole Earth Catalogueのスチュアート・ブラントのような視点を持ちながらも今の若者のもうキャデラックなんかいらないから中古のダットサンで充分だし、欲しいのはトルストイやソローの森の生活-ウオルデンのような自然と対峙した静かな生活なんだということが実感として感じられてきているのは確かだと思う。それを古い本と鉛筆で手描きで記すところがとても良いと思った。
安岡さんとのブックコンシェルジュの一回目のセッシオンで、このInto the Wildのように本を抱えて真実を求める若者がいる限り、僕らのやろうとしていることはきっとこれから意味を持つだろうなと思うと確信を持った。
また先日、スクーリングパッドの説明会に来た若者達にも企業の中での生活すなわち、社会で生きること=働くこと=就職=どこかの企業の社員という図式から逃れて、もっとほかの生き方を模索している。
世界旅行をしたり、その過程をウェブマガジンやブログで発表したり、その前段階としてスクーリングパッドでそれを可能にするステージを作って行きたいというような人々が来てくれた。
スクーリングパッドでは代々このような人が何人か必ず来る。これは運命だと思ってぼくもまともにこうした人々の力になりたいと思った。それにつけ、ある意味地味なこの映画が暗くなりすぎずに、こうして人気が出ることはうれしい。
そう思って今日も代々木公園から明治神宮を散歩すると、これからもっと日本の文化をちゃんと勉強してショーン・ペンにアドバイスしなきゃと思った。