それでいいのだ
September 17, 2008
天才バカボンでは、なにがあっても、どんなにひどいことがあっても、それでいいのだということになる。これは水の流れのように、全ての事はたとえ迂回しても、流れるべくして高い方から低い方に流れるものだという風に僕は解釈している。
実はさる大企業の幹部が、若い者を見ているとすぐに、そうじゃないと言ってしまうことを取り上げて、どうしてでしょうねえ黒崎さんと言われたばかりだ。
そんなこと知るか、若いからいつも間違っている訳でもないだろうし、年をとれば正しいことを理解できるようになる訳ではないが、だからといって若者に迎合して、へらへらとそれでいいのだと言うのは嫌なものだ。
だけどふと考えると、全ての事を肯定的にみて、全ての事には意味がある、そうなるのには理由がある、だから事実を認めてそれでいいのだと言ってみると意外に納得するものだ。
僕が今あるのもそのようなもので、これでいいのだ。そもそも自分で生まれようと思ってここにいる訳ではないし、地球に生まれ、日本のここに生まれたのも自分の意思でもなく、偶然だし考えてみれば、これでいいのだと思う。するとどんなことがあってもその場でこうあることが必然に思えてくる。
それと同じように、他人の行動もそれでいいのだと認めないわけにはいかなくなる。今日、リーマンブラザースがつぶれたと騒いでいる。しかし不況になろうが、株価が下落しようが、金融不況が来ようがそれでいいのだと言ってみよう。そこで自分はその中でどう生きるかと考えると、それでいいのだと思えてくる。