全ては話し合うことから始まるのか?

February 6, 2009

スウェーデンでもオバマの話で持ち切りだった。オバマを1つのキーワードに環境とデザイン、グリーンなデザインと形などについて話している。

実は世界最古のデザイン協会SVENSK FORMの会長をしているEWA KUMLINさんは日本で僕らがTOKYO DESIGNERS BLOCKをやり始めたのと同じ時期にSWEDISH STYLEを東京で始め、日本のデザイナーをスウェーデンに連れてくるTokyo Style in Stockholm.などもやり、僕と同じように個人のお金も注ぎ込み損をしたこともあるいわば同志。

今日もそのハウスウォーミングパーティーに顔を出した。カジュアルで自由なスタイル、いつもの空気だった。なぜ僕らはこれほどデザインということにこだわり、しばらくはありとあらゆる方向から語り相談し考えてきたのだろうか。

それがこのところ様相が変わってきた。新しい世界、新しい価値観が生まれるときは新しい美、次のデザインが必ず生まれるものだ。これが何故なのかが僕の今の最大の関心事。物や事柄に始めて接したとき、見て、考えても分からないことが多々ある。そのときに話す相手が凄く大切で、その会話や視点が次の一歩を踏み出せるかを決めていると言ってもいい。

オバマが言っているように、人間は皆平等に生まれてきたし、幸せに暮らすチャンスは皆平等にあるというアメリカ民主主義の夢を、原点からも一度やり直そう、ということに僕らは美しさを感じた訳だ。

同時にチャーチルが言ったように、民主主義は最悪なシステムでただそれ以上の決定方法がないだけだ、というのも分かる。みんなで充分話し合いもせず、夢も理想もない人達がお金と多数決に頼るやり方で物事を進めているのを見ると、これが民主主義というのなら、そんなに良いシステムじゃないんじゃないかとも思う。

オバマに対しては、これと同時にイタリアの首相が冗談で言ったように日焼けした美男子に何ができるか楽しみだ、という視点もある。しかしこれら全てを含んでもまだオバマの言ってる思想というか方向性には説得力がある。

演説を何回も見ると、確かに彼の苦悩も読める。自分がマリファナをやっていたことがあったりしたことも隠さないし煙草も吸っている。敗者復活がいつでもできるチャンス、多様な価値観が認められる社会、一方的に善悪美醜の方向が決められている社会には次のデザインは見えてこないだろう。

そのとき、真実は誰も分からないので、いろいろな方向から議論して決めるが最後にどちらかが分からないときに、多くの人がいいという意見を採用しようと言うのが民主主義なのだが、その前提条件が良く理解されずにいる。ここまで持ってくるのに革命や多くの人の血が流されてきた。この上に立って西欧の近代がある。そこで日本や東洋の視点をどう持ってくるか。これも僕の最大のテーマ。

デザインでいうと、デザイナーが時代に合った皆が奇麗で良いと思うものを作ろうという夢を捨て、何が売れてどう宣伝するかと売り上げ見込みから形を作り上げるとこの原点というか前提からかけ離れてしまう。北欧の人々は普通に色々な物を見て話して、自分なりに納得することをしているように思える。この辺は間違いなく凄い。

今日見てきた図書館も本をこれほど美しく見せ、知を美に近づけていた。それと同時に日本的な渋い書斎の本棚に対する憧憬がボクの中に起きてくる。その時は会話ではなくて良い書斎を見たい、形や空間は言葉より説得力がある時がある。同時に今度作ろうと考えている自分たちの部屋の本棚も頭の中で考える。娘が気に入ってくれるかな。

Swedish Love Storyー現在の出版界 ▶

twitter