大不況といわれる今に学べること
March 4, 2009
朝、代々木公園を歩いていると、ホームレスもいるが、公園を掃除しているおじさんたちが30人ほどいる。多分仕事を高齢者たちに与えるべく掃除の仕事を振っているのだろうけれど、あまり生き生きとはしていない。もし仮に、公園を掃除してきれいすることでみんなに喜こんでもらう良い仕事をしているんだという気概や誇りや喜びもなく、ただお金の為に仕事をしているのだったら寂しい。
新聞によると日本の自殺者の数が文明国のうちで最も多く、小学生がお金が一番大切なものという比率が日本が一番高いという統計が載っていた。不況で仕事がなくなると、労働契約が正規であるか非正規であるかといったことに注意がいく。こうした時代にどのような仕事が求められ生き甲斐が在るか。人の為になる仕事はどこに在るか、といったことは注意の外にある。
しかし例え自動車会社に正社員として働いていても、労働組合が強く、生活を守る為に赤字でも会社が給料をちゃんと払い続けると、GMやフォードのように倒産すれすれになってアメリカ政府の援助をぎりぎり受けて生き延びなければならなくなる。
社長もプライベートジェット、しかし社内では新しい事業に変換したり、時代に合う領域に転換することができる体制がない。それはこうした生活の為に希望を失った中年労働者の大群を作ることになる。気概を持って、生き生きと時代を切り開いて行こうとする仕事に対する姿勢などまるでなく、政府や会社の愚痴、はたまた、社長の個人攻撃に鬱積する不満を持って行く。
政治家のあら探しをする。どう考えても潔い侍ではない。こうした空気が社会に広がっている。しかし不況といっても飢え死にする人はいないし、ほんとにかわいそうな人たちには冷たく、社会として殺伐として寂しい。
さてそうした中で僕らはどう生きて行くのか。状況の認識、理解、そして創造的に仕事を作って行く事、クリエイションのあり方。そうしたことを考えるには良い時代なのかとも思う。今までのように虚構の繁栄、下品な株屋と不動産屋のあぶく銭で作られた成功談がついに崩れたと考えると、これから色々なことができるチャンスがあり、その前では我々は平等なのかもしれない。
雪の代々木公園をきれいだなと思い、上を向いて木々の枝に春の訪れを感じることができれば、良い音楽を聴くことは人類史始まって以来一番安くて聞けるし、気分を取り直せばいくらでもやれる。
そこで大切なのは情報と教育なのかなと思う。きちんと事実が伝えられていないし、リーダーが引っ張ってもくれない。ただ放置されお金の為に生きているのはあまり人間らしいとはいえない。スクーリングパッドで今後はデザインはどうすれば良いかを話す前に、まずきれいだなあと心から思う瞬間を持つ心の余裕を持ってもらうことから始めないといけない。
何があっても動じずに本当に大切なことを見ることができることが大切だ。代々木公園も、毎日ランニングして汗かいてシャワーを浴びてから木々を眺め散歩すれば贅沢なことだと思う。