都市のユートピア
March 8, 2009
現在の壊滅的な経済の崩壊が何を物語るのか。
まず多くの企業や組織がどうにかしてこの状況を元に戻そうとしている。それと同時に今を捨てて、次はどうなるのだろうかという議論がある。それから何が原因で本来どうだったのかが考えられている。
つまり、過去の認識と本来在るべき姿。この3つの矢印の方向で考えると、今ほど理想主義者にとってやりがいのある時期はないのではないか。現状の情報、認識、把握、理解、解決と思想が持てるかどうかが、ただドタバタしても仕方がなく思われてくる。
1516年にイギリスでトマスモアがUTOPIAという新しい言葉(ギリシャ語のNoと Placeを合わせた言葉からできてるらしい)を題名にした小説を書いた。どこにもない理想郷と位置付けられているようだがこれは少し違うようだ。
そこには思想と理念と社会のシステムが込められている。科学技術や社会システム、自由もあるが奴隷もいるようで、孤立した島であり他の社会から離れている。また仏教のニルバーナ(涅槃)やイスラム教でも同じようにそれぞれの理想の国がある。
プラトンの国家というのが初めかもしれないし、マルコポーロの東方見聞録の中のジパングというのも遠くに在ってまだ行けないすばらしい国として描かれている。中世のヨーロッパでは日本が理想の国だったらしいが、実はそれを考える為にベネチアにモデルを求めたという説もある。
それに対してデストピアといわれる最悪の場所を描くことも人類は色々とやってきたようだ。生活のためといい安全な収入の確保など現実的なことだけ考えている今の日本社会はここら辺の事を少し考えるべきだ。
そういう僕も最近ひょっとしてユートピアは身近なとこにあるのではと思ってきていた。安全なのではない都市の中に。都市では、不安や危険を避けるべく保険会社ができたがその保険会社がつぶれているんだから、全て安全で確実なものなどないとしたらそれは僕らの姿勢や、考え方の中にあるのではないか。
遠くから見ると日本は理想郷になり得る所なんだからと思ってあまり心配ばかりしないで、思い切って新しい価値観に基づく色々な事業を立ち上げて行く人達が出てくると良いと思う。
スクーリングパッドでは毎期ごとに様々な若者に会えるのが楽しみであり、またこの辺事が直感的に解る人が来て欲しいと思っている。心の中にユートピアをイメージできる人が。