世界一周の旅

May 18, 2009

僕は夏になると未だにうずうずしてくることがある。飛行機で飛びたくて仕方がなくなる。それは大学生の頃からこの30年以上、夏はほとんど毎年の様に世界一周の旅をしてきたからだ。

始めに買った世界一周のチケットは確か今は亡きPAN AM、パンアメリカン航空の80日間世界一周で$999だと思う。その時はwest bound かeast boundも選べて、大抵まず香港に飛んでからスタート。そしてインドかどこかに行き、その後ドバイなどに寄ってから、ロンドンに飛び、友人の家に転がり込んでいた。

その頃の友人とは今も会う。それからヨーロッパふらふらして、パリなどに寄り、骨董品などを買い込んで、それからいきなりニューヨークに入る。その時、先ず驚くのはロンドンの英語からNYの英語に耳がなれないこと。

そういえば、NYLONとはN.Y とLONDONの科学者が共同で開発したからこの名前を付けたらしい。ニューヨークもロンドンから入ると何か違うような気がする。

僕がいきなりNYのチェルシーホテルにチェックインしようとした70年代は、ここにはヒッピーのアーティストがたくさんいた。その時に受けたショックと、ジニーというアメリカ人の女の子が泊めてくれたコミューンのようなチェルシーのアパートの匂いなどが僕のニューヨークの記憶の根底。

それからサンフランシスコに飛んだりして、西海岸をふらついて、帰りにホノルルで1-2泊して東京に帰っても、まだ香港までのチケットは残っている。これが僕にとってはとてもうれしいことで、明日また香港に行こうと思えば行けて、もう一周始められるという自由をいつも持っていた。

大人になってからはファーストクラスとコンコルドでも廻ったが、貧乏旅行をしたのが一番面白かった。廻って帰ってくるとある種の地球観ができる。この時に得た感覚は何があっても変わらないものという気がした。

スクーリングパッドを始めて7期目、会社を辞めて世界一周したいんですという子(林篤志)が説明会に来たので、それならスクパに入ってからにしたら?といって、7期に入ってもらった。

その頃、Into the wildというショーン・ペンの映画があった。若者が大学を卒業した後、アラスカに向かって旅をしてそして死んでしまうという映画。これは真実を求めて世界を旅するというその頃の僕の心情に近くて切なくて泣けてきた。

今の世の中こんな気持ちを持ってあまりお金もなく旅をする全ての若者は僕の友達になれると思う。学ぶことは全て旅にあり、旅行中に読んだ本はその場所とフレーズも覚えているものだ。

実際に植草甚一氏や開高健氏にも会った事があるが、本屋好きは旅行の時に買った本を箱に入れて船便で送ったりするが、本当は買った本を持って旅をしたいものだ。

彼は今度やる自由大学で、世界一周講座をやりたいといってる。僕も自分のエネルギーをここに注ぎたいと思う。旅行するには、まずしたいと思う気持ちが大切だが、その気持ちが中々持てない人もいるのではないだろうか。お金なんかはどうにかなるものだ。旅行はまずプランを立てるのがまたうれしい。

また、先日コンサル会社を辞めて世界一蹴といって一年間サッカーのワールドカップを目指して廻ろうという若者と会った。先のことは考えずにサッカーを一年追っかけて世界を廻ろうという訳だ。こうした若者が日本にまだいるのがうれしい。

世界一蹴の旅

日本の若者は何かが違うのか。 ▶

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