品格と金銭

May 28, 2009

先日エスクァイア日本版の復刊の件で、スクーリングパッドに副編集長の小谷さんをお呼びした時に話題になったのは、この雑誌が常に求めてきたものはNYの粋な男の生き方だったということ。

そして教養を持ち合わせ、文化人でお洒落で経済的にもある程度豊かでダンディーな男の生き方とはどんなものだろうかと考えていると、日本人の武士道的な生き方とこうした金銭感覚との解釈が、今まで上手く整理されてなかったのではないかということに気づいた。

どういうことかというと、僕の格好良く勇気があって粋な男のイメージは、金銭感覚ばかり優れてお金を持っている人よりも、お金は関係ない友情や人生の目的は別にあると言い切っている人に傾いている。

そこで新渡戸稲造の武士道などを読むと、武士の品格は商人的な金銭感覚を超えたところにあると言うことを説いている。

しかし封建時代に侍階級は農地を持ち、そこからあがる何万石というお米、つまり財産単位が毎年入ってくるという前提で生活していた。だからこそ命をかけて信義を持って品性を持っていきることができたのではなかったのか。

そして現在の資本主義の真っただ中では、どのようにお金に対して、がつがつしないで、かつ自分の生き方に妥協をしないで、美的であるかということが問題だ。さて経済的に破綻なくやって行けて、しかも武士としての価値観を持って生きるなんて、果たして出来るのか。

日本の企業社会では、大企業で役職に就いて安定と生き甲斐を持って生活するというモデルが一つの理想だった。しかしこれが崩れ、出版社やマスコミで知的で時代を追いかけて行くという仕事自体も成り行かない局面を迎えている今、どのようにしたら卑しくなくフェイクでない品性を持ち、そして勇敢に生きて行くことができるのだろうか。

格闘技的な側面での武士道としては、これは百瀬さんが言っていたが、たとえ格闘技をやってても男達は基本的にみんな弱虫が多い。いざというとき、きちんと自己の態度や意見を表明できる男は少ない。

男前なのはむしろ女の人ばかり。ではもし若い本当のサムライが今の時代に生きていたらどうなんだろうか、お金にきれいで、お金のことなんか口に出さずに克己心を持って自分の課題に常に向かっている人。そして趣味が良くてかっこいい人。

そんな人のイメージを日本の文化を考え創造することからできたら次のエスクァイアは成功できるのではないか。小谷さんはエスクァイアが再刊されたらWhole Earth Catalogueみたいにしたいと言っていた。

そういえばWhole Earth Catalogueのスチュアート・ブラントは、武士道も含めて日本の文化を凄く尊敬している。むしろ海外の目に反射させた方が真の男前の品性を持った人(これは女の人を含む)の生き方を考えることができるのではないか。

そこではお金に対する姿勢が一つのキーだな。と思う。お金というメディアにどういう立場と考えと姿勢で向かうかだ。

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