True again
July 15, 2009
政治の世界では現在、日本は遅れをとっている。
民主主義というのがある種、日本的民主主義に機能していた時期は終わり、本当の意味で自由/平等でみんなで相談して考えた方が、一人の権力者の判断で動く社会よりも間違えが少なく長い目では良いのではないかという民主主義の基本的姿勢。
それが民主主義=多数決という風に性急に結果を出したがる傾向から、多い方につく付和雷同型の多数になってしまった。
そうなると後はどちらにつけば得だとなり、どちらが正しくてあるべきかというよりも、現象的多数に向く。そこでどちらの政党が良いのかなど、うんざりするような状況なので無関心を装おうか、さもなくば無気力にも次善(次に良いこと)に向かう。
ここしばらく続いた経済優先ですべてを考える事の限界が生まれ、お金さえあれば全てOKということで富裕層とかセレブとかいうことがもてはやされて来たけど、新興成金というだけで節操ない人達が多く、見苦しく思う。
資本主義はフェアに機能していれば良いけど、拝金主義になってしまいそうだ、政治もこうした社会での何が良いかの価値観が崩れてきたら、しばらくは混乱が続くであろう。そこが見えてくると、それはそれで覚悟を決めてやって行くしかない。
まず何が真実で、事実を正視することから始めなければ。それをどう捉えてどのように解釈するかを時間をかけて話してみなければいけない。ここで、教育が実は大切で、性急に目先の答えを出すことのみに向いていた今までの学校教育は大量生産に向う企業社会のみに向いていて、今の様に本質的変化の時代には向いていないということが分かる。
教育は大国からフインランド北欧やニュージーランド、オーストラリアや今まで文化的にサイドストリームだった国々が今注目されている。一言でこれらの国々の教育システムを言うとゆっくり見比べて、いろいろな方向から話す癖/考え/思考を深める仕方を教育して行くということではないか。
ユダヤ人もそうだけれどとにかく色々と聞いてくるし、強く押すだけでなく、柔軟に質問や意見を言ってくる。そこで大切なのはユーモア。この状況を作るのが学校だと思う。
情報が集まり意見を言うことができ、本当のことを話す空気がないといけない。嘘でも多数決で押し切ったり、立場と裏があったり、裏腹の態度を押してきたり、今の政治家のテクニックは全てこれからは通じなくなるだろう。
僕らが欲しいのは真実だけ。それをまともに掴むには今までの垢を洗い、フリーズされた感情や思考を解凍しなければ始まらない。僕はそれが一番やりたい。