フェアーでタフな議論
September 15, 2009
最近ラグビー選手とよく会っている。
早稲田のラグビー部のキャプテンだったシブヤ大学の左京君と先日雑誌で対談した。彼はおとなしい感じの好青年。
そして明治のラグビー部の高橋イッソウ氏、彼はスクーリングパットと自由大学のクルーでもある。中々の人物で犬のトリミングやドッグホテルやレストランもやっている。
彼と昨日は捨て犬の話で盛り上がってつい夜中になってしまった。日本のペットブームのおかげで飼い主と合わない犬が毎日保健所で平均800匹も殺されているそうだ。捨て犬や虐待もたくさん有って、寂しい限りだ。
僕は中学校の頃、作文でその頃ウチで飼っていた柴犬は、人間の友人よりも僕に取っては深い友人に思えることどを書いた覚えがある。捨て犬を守るドッグシェルターをやっている人も加わって、犬と人間の関係がきちんとしていない国は、民主主義や人権もきちんと守れないんじゃないかと思うと話した。
犬の視点から人間社会を見ることを自由大学の講座にしたいということ、その為には(教授)という名前の捨て犬を探そうということになった。イッソウ氏が捨てられている犬で賢くて寂しそうな犬を探してきてくれるという話。
犬の視点から良い人間とはどういう人か、どのように立ち居振る舞えばいいのかを教えてもらおう。えさを沢山あげたり、ただ異常に大切にするのではなくて、フェアーに友人としてのマナーを持って接すること。
犬に接する所作が良い人はいい人だ。またイッソウ氏が明治の新しい監督に会って、トライをするたびに一匹づつ犬を救う基金をすることを掛け合ってくると言い出した。それから話はスポーツマンとスポーツマンシップの違いについて、ラグビーの精神についてはフェアで、そしてタフで優しいところに及んだ。
まず良い奴ではないと。そしてスポーツを好み、さらっとしている。そこを鍛える為にスポーツをするとういう循環。スポーツマンシップはフェアできれいに澄んでいる精神だ。
考えてみると現在の民主主義はすぐに勝った負けたばかり言うし、規則や法律の文面を持ち出す。何のためか、何故だとは考えないで現象しか見ない.議論をしてユーモアを持ってその結果を評価することができないのは日本人が政治下手なのと関係しているのではないかと思う。