条件反射の教育

October 15, 2009

昔、パブロフの犬というのがはやったけど、例えば青い色を見せてから水を飲ませることを習慣としておき、青い色を見せると犬は水が飲める準備をする。

また、赤を見せてお手をさせ、えさを与えることを続けると、赤い色を見るだけでよだれが出るようになったり、お手をしたりするようになる。

これが教育だとしたら、戦後の教育は毎日どんなことがあっても朝早くおきて、決められたことを覚えて、実践する。なにがあっても会社に行き、一生懸命に働くか、働く振りをする。

そして如何に営業成績を上げるか、利益を上げるということに全力を挙げるように教育されてる。結果、餌ではなくて、お金をもらえる。そこでお金が見えないとよだれも出なくなり、お手もしなくなるように教育されている。

最近サラリーマン生活を長く続けた人達に、新しい仕事は何処にあるのかという話しをすると、お金が見えないとまるで意欲も湧かず、何をしていいか解らなくなっているようだ。

条件反射の呪縛を解き放し、お金を儲けることしか考えられなくなった人をどう解放するかは大きな問題。飼いならされ動物を、急に野生に放してもどうしていいか判らないで自分からえさを探すことができなくなっている。

餌をもらうことしか考えられなくなっている。これは若者にも言えて、どうしていいか判らないようだ。でも食べ物もお金もないと生きて行けないという不安はまさるばかり。

そこで僕はじっと彼らを観察すると、捨てたものではなく新しい芽が出てもいる。まず、健全な食欲と希望を何処に求めて行くか?いままで飼いならされてきたことからどのように解放されるか。解放されたらどのように自分で生きて行くことができるか。何を拠り所に生きて行くか、がまるで考えられない。考える手がかりを教わっていない。

そうした人に急に、美やデザインを言っても話にならないようだけど、やっぱり僕は何が美しいかを見る目がヒューマンな視点ではないだろうかと思う。

生活の不安があると、きれいな空も、良いデザインも目に入らずにひたすら経済と生活に庶民は目がいくようだ。これはさもありなん、当たり前なことなのかもしれない。

そこで政府や国の援助をもらおうと一生懸命なんだ。でも考えると寂しく切ない。僕個人ではいつも時代が変わり、変化するとワクワクしてそれに立ち向かい生きてきた。サーフィンやスポーツと同じように、ワクワクしながら時代を捉え分析して自分の行動をできるだけきれいにやって行こうと思ってきた。

個人の収入もこの20年間変化は少しあるけど300人ぐらいの社員がいたころの収入と今があまり違いない。当時から自分で儲けたらみんなに良くしてあげたいと思った、社員に奢ってやる気持ちで、海外に連れてったりしてきた。でも今も同じような気分でやっている。

今必要なのはよくしてあげる気持ちがあれば、この間違った条件反射としての知を、少し広げて、自由に考えるように持って行く術を提示してあげたいということを思った。

それにはスクーリングパッドは少人数で、自由大学はより広範に自由に自発的な学びの状況を作る、ということではないか。

この方針で今年からやって行こうと思う。また年末に向って色々なことをやって行こうと思う。いい波が来そうだ。

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