デザインの行方

November 3, 2009

デザインのイベントが様々な所で行われている。

僕たちはSwedish Love Storiesというテーマで行われる、Swedish Style10周年の展示会の会場構成や様々な事を手伝っている。

そして僕が集めてきたヴィンテージ家具やスウェーデン人の建築家のデザインの椅子のプロトタイプなんかとErik Hoglundというガラス作家のガラスのコレクションをオリジナル原画とともに飾っている。

他の家具屋や小物雑貨の会社と違って、僕なりのスウェーデンデザインへの愛情を表現している。モノも集めて組み合わせると、その組み合わせと一つ一つのセレクションから趣味が見えてくる。僕もよく見ると自分らしい組み合わせだと思える。

不思議なもので長い間デザインを考えてくると、ちょっとモノを見るとその裏のデザイナーの意図や製造企業の思惑や、そしてそれをどのように表現して行くのかの作戦に目がいく。デザインの存在意義が思い浮かぶ。

デザインが商品の売れ行きにとって大切なものになってきて久しく、現在アジアの中国や韓国やインドではデザイン教育、デザイン大学が沢山できて、デザインの優劣が其の企業の顔になってきた。

デザインを包む環境が其の国の文化度を表しているようだ。そこで大切なことは、表面的な形態よりもその中に隠れているストーリーをどう読み解くか、何処に本質があるかを見抜けるかである。

しかし多くの企業はマーケティングの視点で売れ行きのみを気にしているのが現状であり、日本の企業は弱っているのがデザインから読み取れる。この現状をどのように解釈すれば良いのか。

今後デザインというものがどう文化として、意匠性としての意味から、ものの存在そのものの意味に係って行き、文学や音楽のように人々の感性に訴えかけるものになって行くかが21世紀になってのデザインの行く末を占うことで大切になっているように思う。

僕も10年前に東京のデザインシーンを作るべくTokyo Designers Blockを始めたが、その後現在まで、デザインウイークやデザインタイドなど様々なイベントが行われてきた。

ここに来て急にその様相が変わりつつある。地球環境が変わり世界の経済環境が変わり価値観が変わり文明の行く末が考えられている。ここでこのまま2009年を終わらせたくない。何か自分たちなりにこれはというものを掴みたいと。

丁度青山の国連大学で9月からFarmer's Marketを始めた。また今回から本を売っているヒトも集めて、オリジナルのbookman's marketというのも始めた。

するとこのごろの熱気はデザインに取って代わるようだ。晴耕雨読というけど、雨が降れば読書をして天気がよければ農園で耕作するという単純な生活を基本において、文化ができてきたという日本の原点のようなものが現代ではどのようにやれるのだろうか?

本に対する若者の注目と農業に対する興味は沸々とわき上がり始めているようだ。
これからのデザインはどのようにするかだけど、僕にとっての注目は若い農業をやっている人がデザイナーと同じような顔をしていることだ。

ファッションもデザイナーがほとんどいけてる農民と同じように日焼けして健康そうに目を輝かせている。どのような美意識、デザイン感覚を持ってこれからの農的生活を作って行くか。

ここがこれからのデザインの行く末に重なって見えてくる。趣味の良い生活は晴耕雨読が基本にあってこそある、と思えてくる。そうすると、どんな家具でどんなライフスタイルでどんな生活を送るかのイマジネーションが湧いてくる。

悲しき熱帯 ▶

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