今だからこそ、出版社を立ち上げよう。
May 19, 2015
現在、ネットのお陰で、新聞を読まない若者が増えて、自由大学に通って来る受講者の半分くらいは新聞の換わりに、ネットでニュースを見ている。
アメリカでも新聞社がつぶれている。また大手の雑誌はタイアップや、スポンサー探しに苦労している。おまけのグッズを付けたり、色々な特典を付けたりしている。
そもそも、戦後の文字に飢えた時代に、印刷すればどんな雑誌も飛ぶ様に売れた事から、出版社は発展した。
70年から80年代は、若者文化をそれぞれの雑誌が引っ張って、丁度音楽の世界で、レコードがどんどん売れたと同じ様に、色々な雑誌が出版された。そして出版不況。出版社が大きくなってしまったので、沢山売れないと経費がまかなえない様になってしまった。
日本のメーカーが、面白い商品であればどんどんチャレンジしていた時代から何十万台売れないと、会社に取っては意味がないと、新商品を躊躇しているようになった。
全て時代の流れで誰がいけない訳でもない。一方、流通の方では、どんなに小ロットでも扱うプラットフォーム、アマゾンなどが出来て来た。
大手の出版流通は、出版社から買い取り、売れ残ったら返品すると言う体制で、出版社は、次から次へと出版して返本に勝るだけ出版をしさえすれば、売上げ自体は確保できる体制で、実際、売れなくても名目上はやって行ける。しかし、実体は自転車操業と言う状態が続いている。
また、新本と古書は流通が違うし、洋書も違う流通がしきる。一方、若者は手作り本のzineや自分たちの独特な出版や選書に優れた、本屋が人気だったり、本をメディアにした空間作りが流行ったり、音楽業界と出版業界は今後どう発展して行くか、過渡期の様相だ。
僕らがよく行くサンフランシスコやポートランドはマイクロパブリシングという、小出版社が沢山有り、また本屋が沢山ある。古レコード屋や、テープもまだたくさんある。古本屋は新本やzinや自費出版を扱い、各国の本も置いている。中には日本語や中国語もあり、全米一大きなインディペンデントな本屋のPowell'sも出店している。
city of booksとして、各国の新刊本、古書、洋書、自費出版、zinなどありとあらゆる印刷物にコーヒーやが付いている。サブカルを引っ張る出版社やレコード会社、ミュージックテープ専門のレーベル等がやそれらを支える小さい印刷屋。こうした情況の上に、ネットやウェッブでアートやデザインや色々な食のビジネスやコーヒーやビールがある。
これから日本の出版界はどのように変わって行くか?そこを自由大学での講座にまとめてみようと思う。
以前スクーリングパッドのブックコンシェルジュコースとして、本のコンシェルジュと選書と本の販売を考えてみたが、その後、また大きく変化して来た。
この時期に敢えて、出版=パブリケイションを始めるとしたらどうすればよいかを考える。オープンな編集会議や著者との打ち合わせ、印刷代をクラウドファンディングで集めたり、出版イベントや本のコミュニティー作りを行う。そして本の編集もウェブで行えるように。こうしたことを通して、本を出版すると言う経済活動を成り立たせて行く。
情報や文章や文字を通しての発信を深めると、編集の概念が少し違って見える。情報をキュレイションして、それを文章や写真や映像の編集で表現する。それらの印刷された形として本や雑誌を考える。
印刷された文字は、コンピューター画面上の文字とは違って、電気が切れても残る。より深く頭に残る。印刷して文章の校正をするのと、コンピューター画面上で校正するのでは全然違うそうだ。リアルに存在する印刷された文章からの印象は強く、頭の中に入ってくる。存在する思想とでもいうか、文学や詩の芸術性はここにある。
一方電子画面上での映像や文字はまた別の印象や感傷がある。思うに、これからは、本も読むし、映画やレコードを愛するが、ネットの情報で全体をつかみ、じっくり読んだりする文章は印刷された本として持っておく、と言う様になるのではないか。
自分の好きな音楽のレコードは、存在として取っておく。何時でもかけることができるものとして大切にしておく。レコージャケットのデザインも含めてその音の記念碑的な意味も込めて大切にしておく。自分の影響を受けた本は印刷された文字として取っておく。こう考えると、出版される本の部数は減るが、意味性や影響力は増す。
それらをうまく使い分け、それぞれの選書のライブラリーを持つ。書斎には、ノートやペンやインクや硯や筆等もおいておき、色々な表現を使い分けた自己表現をして行く知識人が現れて来るかもしれない。メールやlineやfacebookやmessage等も情況に応じて使い分けている様に、良い本を大切におく本棚が有る書斎を持てるとよい。近い将来こうした未来の粋なインテリが現れるとよいね。