飛行機の設計者
February 14, 2024
祖母(父親の母)の兄、本庄季郎という大叔父とは仲良くしていた。彼は一高、東大主席でドイツに留学して、BMWのバイクを乗り回し、三菱重工の航空機の主任設計者だった。そして一式陸上攻撃機を設計した。それでプリンス・オブ・ウェールズという英国海軍の旗艦を撃沈した。
小学校四年生頃、野生植物をコレクションしていて、牧野富太郎の植物図鑑を愛読していた。毎週末、その季郎叔父さんと植物採集に行った。今でも覚えているのは、イチリンソウとかニリンソウ、と一人静か、二人静か、という名前の野草に感情移入して、名前の由来を話し込んだこと。深大寺のそばで八重のキンポウゲと言う野草を発見して、叔父さんと新種を見つけたと大騒ぎした。
彼は自然の中の不思議を見つけ、僕に「テルちゃん何故空は青いか分かる?」など色々聞いてくれて、自然科学の問題点を考えることを教えてくれた。
彼は発想がぶっ飛んでいて、戦後、三菱重工が飛行機を作れなくなったとき、航空機部門で働いている人の仕事をキープするために、余ったジュラルミンで自転車を作った。それは、三菱十字号という名前で、戦後すぐに行われた東京、大阪の自転車ラリーにも出走したようだ。
その後ハンググライダーで世界記録を立てたり、一種の変人で天才的な人だった。スタジオジブリの映画、風立ちぬにもゼロ戦設計者と一式陸上攻撃機の設計者として出ている。
彼は当時から家の家具をアルヴァ・アアルトで揃えていて、デザインセンスが良かった。そして、色々と建築家に対する意見があった。そのため彼は家でも孤立していたが、僕は気が合って仲が良かった。